推薦文アンソロジー

湧き上がる気持ちをデジタルで表現するには?
この「翻訳」で多様な人が共に在る場をつくる
――気鋭の情報学者が新たな可能性を語る。
ドミニク・チェンの思考と実践、そのうねりが一冊に。

* 本書は新潮社Webマガジン「考える人」での連載『未来を思い出すために』をもとに大幅に加筆したものです

発行|新潮社・1800円+税・208頁
[Kindle電子書籍版は1月中発売]
装丁|GRAPH=北川一成と吉本雅俊
編集|足立真穂(新潮社)

ドミニク・チェン Dominique Chen

 1981年生まれ。博士(学際情報学)。特定非営利活動法人クリエイティブ・コモンズ・ジャパン理事、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、現在は早稲田大学文化構想学部准教授。一貫してテクノロジーと人間の関係性を研究している。2008年度IPA(情報処理推進機構)未踏IT人材育成プログラムにおいて、スーパークリエイターに認定。日本におけるクリエイティブ・コモンズの普及活動によって、2008年度グッドデザイン賞を受賞。著書に『謎床』(晶文社)、『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』(フィルムアート社)など多数。訳書に『ウェルビーイングの設計論:人がよりよく生きるための情報技術』(BNN新社)など。

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書評

伊藤亜紗(美学者)

風景とともにある知
雑誌『波』2020年2月号掲載  

 子供が生まれたら、死ぬのが怖くなくなった。そう口にする人に何人も出会ったことがある。筆者自身もそうだ。出産の翌日に母子同室が許され、生まれたばかりの我が子を自分の体のとなりに横たえた。その瞬間、脳裏に浮かんだのは自分自身の葬式の鮮明なイメージだった。そして不思議なことに、底知れぬ安堵感に包まれたのである。
 子供の誕生によって自らの死が「予祝」される。本書の出発点にあるのは、この不思議な、そしてこの上なく甘美な感覚だ。父となったチェン氏は、娘の誕生とともに、自分の全存在が風景へと融けこむ感覚に襲われたと言う。そしてあらゆる言葉が喪われた。
 思うにこの風景への融けこみは、一種の記憶喪失体験だったのではないだろうか。子という次の世代にバトンが渡ることによって、世界は全く別様に見え、自分という存在をつくる原理が根本から組み変わってしまう。だからこそ、すっかり書き換わった景色のなかで、チェン氏は記憶をとりもどそうとするかのように、自らの過去を辿り直すのだ。
 フランス国籍のアジア人として東京で生まれ、在日フランス人の学校に通った記憶。パリで過ごした不安定な高校時代、哲学の授業で経験した、明確な論理構造をもとに議論を構築する安心感。アメリカの大学でデザインと芸術を学び、自分だけのスタイルを獲得するなかで確信した、世界を語る言語としての表現の力。
 だが本書は、複雑なハイブリディティを宿した一人の人間の半生をつづった単なる伝記ではない。善く生きる術を教えてくれるのが哲学書なら、本書はまさにその仲間だ。情報技術によって接続が加速すればするほど互いの分かり合えなさが増大していく時代のなかで、いかにその分裂を架橋していくか。本書は伝記でありながら、同時に言語をめぐる、人と人のインターフェイスをめぐる、きらめくようなヒントがたくさんつまった哲学書でもあるのだ。
 人は、飛行機や車を使ってこの世界を地理的に移動していくことができる。だが同時に、科学や政治、文学やアートなど世界を認識するさまざまな方法のあいだを移動していくこともできる。本書が面白いのは、この二種類の移動が連動していることだ。チェン氏が東京からパリへ、あるいはパリからロサンゼルスに移動する。するとそのたびに彼は、世界の新しい見方へと移動していく。当たり前のことだけど、どんな知も文脈によって持つ意味は異なる。知が抽象化されず、土地を、人を、風景を伴っている。本書で描かれる、そのことがまず感動的だ。
 特に私が好きなのは、終盤で描かれるモンゴルへの旅と「共在」をめぐるエピソードだ。チェン氏と妻は、モンゴルで結婚式を挙げようとする。おそらくは行き当たりばったりのこの提案に、現地の人たちが乗っかる。滞在先の家長が父親役を演じ、馬に乗って娘を娶る許可を取りに行くという儀式まで行った。
 帰り際、チェン氏は父役だった男性の兄から、「馬をあげよう」という申し出を受ける。戸惑っていると、「あげる」というのは「持って帰れ」という意味ではないと言う。「この馬はここにいて、自分たちが世話をする。だが、君たちがここを訪れるときにはいつでも乗っていい」。つまりその申し出は、物質的な贈与ではなく、記憶のなかでどこまでも継続する関係を贈る、そういった類の贈与だったのだ。
 チェン氏は、これを文化人類学者の木村大治のいう「共在感覚」と結びつける。木村は現コンゴの農耕民族ボンガンド族の調査を通じて、彼らが壁の向こうにいて顔が見えない人とも「一緒にいる」という感覚をもっていることを明らかにした。彼らは隣の家から聞こえてくる会話にも反応するし、常に一緒にいるのだから自宅から約一五〇メートル以内に住んでいる人とは会ってもあいさつをしない。
 モンゴルで贈られた馬は、まさにチェン氏夫妻が東京に帰ってからもなお、モンゴルの人々や動物、景色と「共に在る」ことを可能にしてくれるものだ。そして子を持つというのも、実は同じことだろう。どんなに物理的に離れていても、その距離を含みこんで、私たちは共に在る。

※ 太字は編集部による

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絶賛の声、続々!

ドリアン助川(詩人・作家)

知を信じ、平和の礎になろうとする人に
とって必読の書です。

〔Facebook投稿より〕

 圧倒されている。
芯から倒され、抱きしめられた気分だ。

自ずから立ち上がることを運命付けられていた知の巨人が、
子ども(娘さん)の誕生をきっかけに、さらに新たな地平へと歩みだしたその一歩ずつの輝き。

本当の意味での「コモンウエルズ(国民という意味ではなく、大きな意味での連帯、福祉、公共性)」への道程をこんなにも説得力をもって展開した本がかつてあっただろうか。

いや、「かつて」という言葉はあり得ない。進行するしかない「今」、生まれでる「時」の先端で火花を散らしているのが著者のドミニク・チェンだから。

まだ観ぬ地平と大いなる共感。双方があって表現は初めて芸術になり得るのだとボクは信じている。そのような意味では、この『未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために』(新潮社)は、本という表現形式を軽く飛び越え、今この時代の難しさを起点とするしかない芸術のその頂きに達している。

デジタルの専門家ゆえ、すこし歯応えのある言葉がないとは言いきれないが、文章の質としてはむしろ詩人や、開高健のような密度濃いテキストを好んだ作家に近い。

いや、本当に驚いている。そして感動している。

ボクは普段から学生たちに、表現をしなさいと繰り返し言っている。レポートひとつ書くのもルーティンの作業ではなくひとつの表現だと思いなさいと言っている。なぜなら人は、どんなジャンルであれ、表現をすることによって主体足り得るからだ。誰もがそれぞれの人生の主役であるけれど、それをより明確にするのが(表舞台に立つ立たないではなく)、各自の場での各自の表現なのだ。

抜き書きをすると、ドミニクはこう記している。
「書くことによって、世界はただ受容するものであるだけではなく、自ら作り出す対象でもあるとわかったのだ。そして、世界を作り出す動きの中でのみ、自分の同一性がかたちづくられるのだということも」

共感を覚えるこうした記述が本書には方々にある。

たとえばボクは、米国から帰ってきたあと、あまりに自分の本が売れず生活に四苦八苦するばかりなので、何かを所有するという人生を諦めたときがある。しかしその瞬間、世界が逆に飛び込んできた。

所有という錯覚ではなく、在るのはただ世界との関係のみだとはっきりわかったのだ。目の前の多摩川の河川敷はだれのものでもなく、しかし感受するという関係に於いて自分のものとなった。所有を捨てた瞬間に「マイ多摩川」が現れ出た。パブリックとはおそらくこういうことを言うのではないか。

似た感覚を、ドミニクも新婚旅行を兼ねたモンゴルの旅で得ている。奥さんと二人で馬に乗って草の海を旅し、遊牧民たちと交流するなかで、所有という概念を捨ててしまった人たちのとてつもない包容力と視野の広さについて語っている。
ここ、凄く共感。

トミニクは、デジタル世界の未来から、親子や友人、あるいは敵対するものとの共棲の解法として常に「関係性の哲学」に注目し、新たな道を切り拓こうとする。本書がフィーチャーしているのは、グレゴリー・ベイトソンの思想だ。

どこかで『悲しき熱帯』のレヴィ=ストロースを彷彿とさせるベイトソンは、しかし思想の鏃が文明批判へと向かうのではなく、世界の事象の関係性の上に立つ生命観へと人生の熱情を傾けていく。

ドミニクはこのベイトソンに影響を受けつつ、彼の手法である「メタローグ」(共話)から、解法が見えなくなり始めた「わかりあえない者」たちにどう橋を渡すかをフィードバック的に導き出そうとする。

とにかく、この本にはやられました。
つまり、ドミニク・チェンにやられました。
なんと気持ちよくノックアウトされたのだろう。

知を信じ、平和の礎になろうとする人にとって必読の書です。

ヲノサトル(作曲家・ミュージシャン)

 始めは何の本だろう?エッセイなのか論説なのか?……という感じで読み始めましたが、前半の甘美な自叙伝的部分にも散りばめられていた娘さんに関する思考が、中盤のベイトソンにおける父と娘や、テッド・チャン小説『あなたの人生の物語』の母と娘といったトピックと次第に共振し始め、あいちトリエンナーレ2019で遺書を扱った展示作品の話につながっていくあたりの怒涛の展開、圧倒されました。 〔著者へのTwitter DMより〕

朝吹真理子(芥川賞受賞作家)

美しい本だ。
他者との関係の結び方が
たくさん書かれてある。

〔帯推薦文より〕

 読んでいるあいだ、自分が小さかったこところのことを思い出し、ドミニクさんの娘になったような気がしていた。未来の娘に対して、書かれているような気がする。他者との関係の結び方がたくさん書かれてある。吃音というじぶんのなかにいる友達のことも含めて。人が生きて去ることを慈しみ、自分のいなくなった世界を祝福する。未来にあてて書かれたような、美しい本。

森田真生(独立研究者)

自分でないものたちと混じり合い、
共に在ることの楽しみに満ちた一冊

〔帯推薦文より〕

 読後、いまとても豊かな気持ちになっています。第1章のタイトルが「混じり合う言葉」となっていますが、まるでコラージュのようにいろいろな思考がドミニクさんという場において混じり合い、発酵していき、ついに娘さんの登場によって、(テッド・チャンの世界のように)過去と未来が交雑していく。自分の世界が侵されていく不快感ではなく、複数の世界が縁起し合う喜びを感じながら、まるでタイプトレースで見ているかのように、ドミニクさんという人物の「成り立ちのパターン」を知るにしたがい、自然と読者は著者の思考過程と同期していく...。リニアなロジックの流れではなく、書き手と読み手が気づけば相互に照らしあう関係へと導かれていく。まさに「計算から縁起へ」ですね。それを、ドミニクさんの文体と生き方そのものが体現しているのだと感じました。全体を読み終わった途端から、新しい思考が走り出すような本です。

太田直樹(NewStories代表 / 総務省政策アドバイザー)

分断を越えるという
とても難しいテーマについて、
こんなあたたかなアプローチがあるのか。

〔Facebook投稿より〕

 ドミニク・チェンさんの新著を読み終えて、静かな感動に浸っている。本書の副題である『わかりあえなさをつなぐために』、言い換えると分断を越えるというとても難しいテーマについて、こんなあたたかなアプローチがあるのか。
 環世界(Unwelt):”生物の身体ごとに備わる知覚の様式に応じて、異なる世界が認識され、構成されている。そして、他の生物と異なり言葉を使う人間には、生物学的な環世界の上に、時間と空間を抽象化して扱う言語的な環世界が重ね合わされていると言える。”(17頁)
 ぼくにとっての収穫は、「環世界」という重要だと思っていたけれど、取っ付きにくいと感じていた概念について、ドミニクさんの視線を自分の中に住まわせて感じることができたこと。すなわち、本書が自伝というスタイルを取ることによって、多言語・多文化で育ち、情報学を柱に、哲学とメディア・アートを修めた異才の人生が、自らの中にすーっと入り込んできて、感じ、考えることができた。いまは、環世界がとても身近に感じられる。この円環的な読書体験は、とても心地いい。
 そして、主題の『未来をつくる言葉』は、言葉が未来をつくる、それも自然言語と(AIを駆動する)機械言語が未来をつくっていく、と受け取った。ネットに対する失望が静かに広がる中で、正確性・効率性にすぐれたこれまでのネットのあり方はひとつの側面にすぎず、本書が提示する生命的な情報観は、ネット/サイバネティクスのデザインの革新によって、人と人、人と自然が、異なるけれども関係し合えるという新たな可能性を提示する。
 それほど遠くない未来に、ぼくらの時空の認識がアップデートされていることを妄想し、ワクワクしている。

伊藤亜紗(東京工業大学准教授)

泣ける学術書という新ジャンル 〔著者へのプライベートメールより〕

 これはヤバい名著だ〜〜かなり感動してしまった…ブルブル。まじでさいごの娘さんとの共在感覚のところ、泣きました😭泣ける学術書という新ジャンル笑。ドミニク・チェン代表作の一つになること間違いなしでは。

いとうせいこう(マルチクリエイター)

一緒に言葉の岸辺を歩く本。
〔帯推薦文より〕

太刀川英輔(NOSIGNER)

〔著者へのプライベートメールより〕

 生きることや、コミュニケーションの不思議に出会うこと、優しさとは何かについて考えること。こうしたことは、誰にだってきっとあることだ。自分のまわりにある不思議を明確化して、認識を探求するために、いつでも教養は味方してくれる。 1人の風変わりな男の人生の自伝を通して、生きている時間の中で自然と得られていった教養が、どのように世界を理解することに役立つのかを教えてくれる優しい本。

友人として彼をよく知る僕も、改めて彼が見ようとしている彼の環世界に触れることができて、あったかくて嬉しい気持ちになった。

未来にテクノロジーが知性として人に寄り添うときがきたら、それは他者を超えた者として現れるのかもしれない。そんな妄想を抱く本だった。

北川一成(GRAPH代表取締役 /ヘッドデザイナー)

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この本は、不思議な気配をまとった一冊になりました。
ドミニクさん本人のような佇まいの本です。

〔著者へのメールより〕

今後とも書評を続々公開予定


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ラジオ出演

FM87.6MHz「渋谷のラジオ」の番組『渋谷の柳瀬博一研究室』で、
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授・柳瀬博一さんのホストによる本書に関するインタビューが放送されました。
以下の公式note記事で聴取できます。